「伊勢源六たちばなや」について

宝永五年(一七〇八年)初代 伊勢屋源六 が菓子の製造を始めてから今日まで、ひとくち京菓子を一筋に、その愛らしい姿・かたちに伝統に支えられた創り手のまごころを託して参りました。ひとつひとつの味を、皆さまの日々の暮らしに添えて、どうぞお愉しみくださいませ。

「たちばなや」のある所

「伊勢源六たちばなや」本店がございます“三条堀川”は、京都市内のほぼ中央部にあり三条通と堀川通の交差したところにございます。
三条通は、京都の主要な東西を結ぶ通りのひとつで、東は山科の四宮から昔の東海道五十三次の終点の橋でもあった三条大橋を経由して西は嵐山の渡月橋に至ります。
堀川通も南北を結ぶ京都では主要な通りで、北は加茂川の堤の加茂街道から始まり、八条通までを結ぶ通りです。“堀川”はその昔、京都市内を流れる運河で昔は友禅染めにも利用された水量がありました。現在は人工的に河川も改修され一部は暗渠になっております。

1992年、‘丹波栗蔵’完成。

緑豊かな山々が連なる丹波地方、そこは京都府と兵庫県にまたがる実りの郷。
なかでも京都府福知山市にある夜久野町は、品質の高い栗・黒豆・小豆で全国的に知られています。そんな京和菓子創りには理想郷ともいえる夜久野に菓子蔵「丹波栗蔵」が生まれたのは、小さなご縁がきっかけでした。
当時夏のギフトで、ところてんの突き棒入り商品が人気を博していました。
その、突き棒作りの誠実な仕事ぶりを通じて、夜久野町の人々との信頼関係が深まっていったのです...

実りの郷 丹波栗蔵

美味しい京和菓子を創るには、素材・場所・人材・設備が必要だと考えていた11代目は、時間をかけてじっくりと夜久野の人々との親交を深めていきました。
新鮮な素材を産地で、そのまま加工できる京和菓子専門の工場が欲しいという想いは、13年の歳月をかけて実を結び、丹波の山懐に抱かれた「丹波栗蔵」が1992年4月に設立。
約6,000坪 (19,800㎡) の敷地と設備を備えた「京和菓子創造の城」が誕生し、新鮮で美味しい京和菓子をより多くのお客様にお届けすることが可能になりました。

丹波菓子の里 やくの花あずき館

京都府北部福知山 夜久野高原「道の駅・農匠の郷やくの」内に丹波菓子の里 やくの花あずき館があります。
「道の駅・農匠の郷やくの」は国道9号線沿いにあり、四季折々の豊かな自然に囲まれた施設です。
その丹波の地で大納言小豆や黒豆を100%使用した珍しい金つばを作っています。
また、和菓子作りの体験コーナーの予約も承っております。

銘水「橘泉水」。

伊勢源六たちばなや本店には、この地に店舗を構えてから使い続けている井戸が有ります。
その名も屋号にちなんで「橘泉水(きっせんすい)」と名付けております。その恩恵で繊細な味を受け継いでまいりました。

「上質の水は、和菓子の命」
水は餡(あん)を炊くときの命です。美味しい水は、素材にまろやかな味を引出してくれるのです。
橘泉水は癖もなく、小豆などの原料を茹で上げ、炊き上げる事で原料の風味を十分引き出すことが出来ます。

「伏見の酒蔵と同じ水脈の銘水」
橘泉水は、天下の酒蔵「伏見」の井戸と同じ水脈といわれています。
四方を山で囲まれた京都の地下は大きな水がめ状態になっており、鴨川の上流からは伏流水が流れています。その上質で豊かな水がめは、実に琵琶湖の容積に匹敵する量といわれております。

「千年以上もの間、人々に親しまれ続ける橘泉水」
井戸の歴史は平安時代にさかのぼります。昔から風水では鬼門(災いを呼ぶ方角)に寺社などを建立し厄除けをしました。京都御所の鬼門封じにも、比叡山延暦寺の塔頭・赤山禅院が建立されました。
京都の街中でも鬼門封じのために「小井」と呼ばれる井戸が掘られ、千年以上もの長い間、人々に親しまれてきました。それが、現在の「橘泉水」なのです。
当店店頭では、橘泉水をご自由にお持ち帰りいただいております。毎朝、開店と同時に多くの方々が水を汲みに来られ、大変に喜んでいただいております。